「好き嫌い」「偏食」に対する老師の教え

2月 16th, 2015 posted by akira

困ったらこの本 松田道雄『育児の百科(下)』より。
老師曰く

・@3歳から4歳

 この年齢では、1年を通じて体重は1.5kgから2kgぐらいしかふえない。それにひきかえて身長のほうは6センチものびる。母親の目からみると、子供はちっともふとらないようにかんじる。たいていの母親は、子供がごはんを食べてくれないことを気にしている。しかし、母親が期待するほどごはんを食べては、食べすぎになる。(p.201)

 あんまりながく食事についやすと、外にでてあそぶ時間がへってしまう。これは、茶わんによそった1ぱいのごはんを全部たべさせようとするからである。30分かかって食べきれないときは、もっとごはんを少なくして、副食を多くしたほうがいい。

野菜を全然食べない子には、果実を与えていれば、ビタミン類の不足にはならない。(p.202~203)

・@4歳から5歳

 子供が偏食するのを、気ままをいうわるい子だときめつけるべきではない。また、母親として子供のしつけをあやまったと、自分をとがめるべきでもない。人間には、食物について好ききらいがあるほうがおおい。ある特定の食べものがきらいだということは、おとなにとっては、あまり問題でない。(p.324)

 子供にかぎって、食物の好ききらいが偏食などといって、とがめられねばならぬのはなぜか。これは母親の「栄養学」と、その道徳的信念による。よその子の食べるものは、なんでも食べないと栄養不良になると思っている母親がいる。そんな母親が、戸別訪問をして幼児の嗜好調査をしたかというと、そうでもない。うちの子は、なんでもいただきます、という近所の母親のことばを信じているだけだ。(p.324)

しかし、なんでも食べるということが、はたして善であろうか。それは善悪をこえた、子供の生理の問題だ。玉ねぎがきらい、にんじんがきらい、いもがきらいということは、その子のいまの持ち前なのだ。

音楽や文学や絵画では、人の好みがみとめられるのに、どうして食物については好みがゆるされないのか。(p.325)

 「偏食の矯正」に成功したという「美談」は、子供のきらいの程度がそれほどでなかったか、次第に成長して好みがかわったか、または、子供が耐えがたきを耐えているかだ。(p.326)

 人間は忍耐をまなぶべきである。しかし、食事というような基礎的な生理でそれを訓練することは、賢明とはおもえない。食事は、生きる楽しみとして、楽しくおいしく食べるほうがいい。そのほうが消化もいい。

14~15歳になって、からだのどんどんそだつ時代には、好きでなくても腹のたしになるものは食べる。この時代は満腹が食欲の充足だ。だが、4~5歳のころは、成長のスピードがおそく、そんなに食欲のないときだ。あまりたくさん食べないのだから、質的に食欲をみたしてやりたい。栄養学的にみて不足がなければ、子供の好ききらいにたいして、あまりつよい干渉をしたくない。

野菜のきらいな子には、野菜をこまかく切って、焼き飯にまぜるとか、シチューにするとかで形をかえたり、味をかくしたりして与える。それでもだめなら、野菜のかわりに果実を与えておけば、栄養上はさしつかえない。魚も、煮たり焼いたりしては食べないのならフライにする。それがつづいてもいい。それでも食べなければ、他の動物性タンパクでおぎなえばよい。魚もきらい、肉もきらい、卵もきらいという子には、牛乳をたくさんのませればいい。(p.326~327)

ありがたや。ありがたや。

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